October 2026

ボトルの上の漫画――生産者と輸入業者が築く米国ブランドと、その帰属の行方

Rik Douglas Jeffery(共同創業者・代表(米国弁護士(カリフォルニア州)))
翻訳提供: Joel Hughes

要旨

当事務所は2026年8月、米国有数の日本酒輸入業者であるコメ・コレクティブ(Komé Collective)の社長、モニカ・サミュエルズ氏(Monica Samuels)にインタビューを行った。本稿において筆者は、あらゆる酒類カテゴリーが本国市場で負の文化的遺産を抱えているとしたうえで、日本酒の米国における好機は、そうした遺産を伴わずに米国へ到来した点にあると論じる。ローカライゼーションとは、新たな市場において製品にどのような意味を持たせるかを決める作業であり、生産者と輸入業者が共同で担うものである。ローカライゼーションを通じて生まれる米国でのアイデンティティは、それ自体がいずれの当事者にも帰属し得る資産の集合であり、その帰属は、一方が意図的に定め、他方が既定の成り行きで受け入れる形で決まることが多い。したがって、輸入業者と生産者の関係においては、パートナーの選択と提携開始時の条件が、両当事者の想定以上に重大な意味を持つ。

1.「はじめに」

筆者は先日、コメ・コレクティブの社長であるモニカ・サミュエルズ氏から、話を伺う機会を得た1。コメ・コレクティブは、塩川酒造の製品を米国に輸入しており、筆者をサミュエルズ氏に引き合わせてくれたのは塩川氏である。その紹介は、筆者が「日本酒の米国市場エコロジー」を発表した後のことであり、同稿は、筆者が2025年に日本で過ごした1か月について記したものである。サミュエルズ氏の日本酒に関する知識と、業界とそこに携わる人々への明らかな情熱は、筆者の心に強く残り、その対話から得た教訓が何であったのかを見極めるまでに、数週間を要した。筆者は「日本酒の米国市場エコロジー」において、米国の日本酒市場の今後の成長は、大量流通によってではなく、教育、ローカライゼーションの改善、そして店内で飲用する場(オンプレミス消費拠点)に支えられた、的を絞った文化的浸透によってもたらされると論じた。サミュエルズ氏の話を聞いても、この主張は揺らがなかったが、同氏は、筆者が予期していなかった細やかな視点を、そこに加えてくれた。筆者が得たのは、文化的浸透が実務上何を意味するのかについての、より具体的な理解である。文化的浸透とは、生産者と輸入業者が共同で行う作業であり、製品のために、確かな商業的価値を持つ米国でのアイデンティティを築くものである。しかも、そのアイデンティティの帰属は、意図的に決まるよりも、既定の成り行きで決まることのほうがはるかに多い2。

以上を理解するには、まずサミュエルズ氏とコメ・コレクティブについて、述べておく必要がある。サミュエルズ氏は、酒を醸していた祖父を持ち、二つの言語と二つの文化の中で育った3。レストラン、卸売業者(ディストリビューター)、輸入業者という業界の各立場で、15年以上にわたり経験を積み、2017年には酒サムライに選ばれている4。こうした二つの文化にまたがる背景が、コメ・コレクティブの運営に大きく寄与していると、筆者は推察する。コメ・コレクティブは、ニック・ラムコウスキー氏が1999年に設立した輸入会社Vine Connectionsの傘下にある。Vine Connectionsはもともと、アルゼンチンワインを、米国の消費者に改めて紹介することを目的に設立された。Vine Connectionsの日本酒ポートフォリオは、ジョン・ゴントナー氏が、ラムコウスキー氏と引き合わされたことに始まる。ゴントナー氏(現在、日本人以外では随一の日本酒の権威といってよい)は当時、米国の友人たちに、スーツケースの空きに収まる以上の規模で、日本酒を届ける方法を探していた。サミュエルズ氏は2008年からゴントナー氏に師事しており、現在は同氏とともに、コメ・コレクティブのポートフォリオを選定している。2020年、同社は初めてワインよりも日本酒を多く販売し、ワイン輸入会社の日本酒部門と自らを称することをやめた5。

2.「どの酒類にもある苦い家族の記憶」

文化的浸透について、サミュエルズ氏との対話から得た最も重要な教訓の一つは、製品の肯定的な文化的アイデンティティを打ち出すだけでなく、その製品がすでに抱える負の文化的遺産に対抗することも求められる、という点にあると筆者は考える。コメ・コレクティブはワイン輸入会社の傘下にあるため、この教訓は、日本酒とワインが互いに何を学び得るかをめぐる対話の中で、話題に上った。サミュエルズ氏が米国におけるワインの問題として示したのは、学校から帰宅すると、母親がすでにシャルドネを半分空けており、夕食時には1本がすっかりなくなっていた――そうした光景とともに育った世代の姿である。日本における日本酒の問題もほぼ同じ構図であり、酒を飲み過ぎて、路上で見知らぬ人に話しかける父や祖父の姿とともに育った日本の飲み手は、数多い。したがって、ワインは米国において、日本酒にはない負の文化的遺産を抱え、逆に日本酒は日本において、ワインにはない負の文化的遺産を抱えているのである。

3.「数字による裏付け」

この文化的な語りには、経済的な数字による一定の裏付けがあるといえる。米国人がほぼあらゆる酒類の消費を減らす中で6、米国の日本酒輸入は、過去5年間に増加している7。日本人もまた飲酒量を減らす中で、日本酒が際立っているのは、その減少が他の酒類より早く始まり、より大きく進んだ点である8。一方、ワインは、日本においてそのような運命をたどっておらず、日本は数十年にわたり、アジアで1位または2位のワイン輸入国であり続けている9。

さらに示唆的なのは、米国で引き続き成長している酒類消費の分野が、「母親のシャルドネ」とは一線を画したカテゴリー、たとえば、ナチュラルワインやRTD(レディ・トゥ・ドリンク)飲料だという点である10。これらのカテゴリーは、「母親のシャルドネ」とは異なり、ワイン売り場の多くを埋め尽くす、旧世界的な貴族趣味と高級感に頼っていない。日本でも同様のことが起きている。伸長したのは、日本酒の格式ばった装いも、上流階級的な漢字の書も持たない、安価で気取らない酒類であり、それらはそもそも日本酒ではない11。

4.「導かれる一般原則」

これらの数字と文化的な語りが指し示すのは、いくつかの一般原則であると筆者は考える。

4.1「製品の文化的遺産を見極める」

自社製品に強い文化的遺産が結びついていないのであれば、そのこと自体を知っておく意味は大きい。その場合、事業者は、メッセージを一から構築することになると分かるからである。たとえば、ワインと比べると、日本酒は、米国人が現在飲んでいる量からすれば誤差の範囲にすぎず12、この日本酒のシェアの小ささこそ、サミュエルズ氏をはじめ、この業界の多くの人々が活かしている好機である。正の文化的遺産がある場合には、それを土台とし、活用し、拡張する。負の文化的遺産がある場合には、それを把握したうえで、想定する消費者が自社製品と結びつけかねない、負の文化的遺産の目印を避ける。

4.2「負の遺産とは逆方向へ転換する」

格式や貴族的な洗練へと向かう旧来の製品に、負の要素が結びついている場合、新しい製品は、たとえ高級品であっても、過度に堅苦しく構えることはない。自らの文化的な歴史と文脈を踏まえつつも、今日の世界における楽しさと喜びを伝えるのである。

4.3「依然として事業の基本が要」

これらの原則は市場向けのメッセージに関するものであり、メッセージ発信は事業を成功させるうえで不可欠であるが、事業を適切に運営するための一要素にすぎず、想定する消費者に向けた高品質な製品づくりに代わるものではない。サミュエルズ氏が筆者に語ったところでは、同氏は、輸出を検討する前に、まず、その日本酒ブランドの国内での成功を確かめたいと考えることが多いという。国内での成功は、輸出に伴う追加の需要と課題を支えるだけの力が、その事業の根幹に備わっていることを示すからである。

5.「すべてを体現する一本」

筆者は、これらの原則の好例として、コメ・コレクティブが扱う蔵元やまだ(合資会社山田商店)の「むかしのまんま」(米国名 Everlasting Roots)特別純米(下の写真)を挙げたい。正直に言えば、筆者はインタビューに備えて、コメ・コレクティブの日本酒をかなりの数試飲しており、それは大いに楽しいものであった。サミュエルズ氏との対話の中で、筆者はこの一本をお気に入りの一つとして挙げた。味の良さに加え、そのトレードドレス13に強く惹きつけられたからである。ラベルに記された「むかしのまんま」という言葉は、中身の酒については当てはまるかもしれないが、製品のトレードドレスや、市場に向けたメッセージには当てはまらない。筆者は、このラベルが転換を表していると考える。「Everlasting Roots」(変わらぬルーツ)という発想は、旧世界的な洗練を想起させるかもしれない。しかしながら、少なくとも筆者の目には、不規則な形の木版画風の背景の上に配されたボトルの書に、気取らない魅力が感じられる。その最上部には、日本の田舎の老夫婦を描いた、愛らしい戯画(カリカチュア)が配されている。筆者には、描かれた二人が見知った人々のように感じられた。サミュエルズ氏によれば、このラベルの図柄(イラスト)は、典型的な日本の田舎の祖父母を描いた、いわば漫画風の戯画であるという。

[写真キャプション:蔵元やまだ「むかしのまんま」(米国名 Everlasting Roots)特別純米。画像提供:コメ・コレクティブ]

ここに、前述の原則の適用を見ることができる。この製品には、トレードドレスを、漢字を並べた仰々しい旧世界風のラベルに仕立てるだけの、歴史と文脈が十分にありながら、酒蔵は、あえて気取らないものにした。製品名が、漢字ではなくあえてひらがなで記されている点にも注目したい。格式に頼る理由はいくらでもあったが、酒蔵はそうしない道を選んだのである。この酒の造りと歴史からすれば、飲み過ぎる祖父の姿を想起させてもおかしくはなかったが、これらの戯画は愛らしく、楽しい。少なくとも筆者にとって、これらの戯画は、身近な日本の年配の人々を思い起こさせる。筆者自身の91歳の祖母もその一人であり、昔ながらの流儀を守りつつ、楽しみ方を心得ている。

ボトルと市場に向けたメッセージは、負の遺産を見極め、トレードドレスによってそこから転換しているが、ボトルの中身が申し分のない伝統的な製法の日本酒であることに、疑いの余地はない。この酒を醸すのは、1868年(明治元年)創業の酒蔵、蔵元やまだである。蔵元やまだは、コメ・コレクティブが扱う酒蔵の中でも最小規模の一つでありながら、その規模ではほとんど例のない自社精米を行い、加温・冷却の制御を一切行わずに、常温で仕込んでいる14。言い換えれば、中身の酒は、卓越した、極めて伝統的なものであり、150年以上にわたり一貫して伝統的な日本酒を造り続けてきた事業者から生まれている。

6.「ボトル上の漫画と規制」

筆者が「むかしのまんま」の漫画風の戯画に触れたのは、この戯画こそ、ボトル上で最も力強いデザイン要素の一つだと考えるからである。これは、コメ・コレクティブのような優れた輸入業者が、米国外の生産者が単独では極めて実現しにくいローカライゼーションの価値を、付加し得ることを示す好例であると筆者は考える。もっとも、この漫画自体は、コメ・コレクティブの発案ではない。

米国では、酒類のラベルに漫画を用いることは、自由に、あるいは気軽に選べるものではない。連邦の表示規則は、言葉と同様に図像も直接の対象としており、ラベルには「わいせつまたは下品な表示、図案、意匠または表現」を記載してはならず、同じ文言は、他の禁止事項にも一貫して用いられている15。実務上、図像は、ラベルの規制対象外に置かれた装飾ではなく、文章と同じ審査を通過しなければならない。さらに、ほぼすべての酒類ラベルは、ボトルの販売前に、連邦政府の承認を要する。ワイン(日本酒を含む)についていえば、州境を一切越えないボトルを除き、酒蔵または税関から出る前に、米国アルコール・タバコ課税貿易局(TTB)16によるラベル承認(COLA)が必要となる。TTBの審査官が、誤認を招く、あるいは下品であると判断する図像を含むラベルは、COLAを取得できない17。言い換えれば、製品が本来届くべきでない層に届く図像は、COLAを取得できない可能性がある18。筆者の実務でも、TTBがまさにそうした理由で、図柄を却下した例を見てきた。

カリフォルニア州は、広告の面で独自の禁止規定を加えている。カリフォルニア州事業職業法(B&P)§25664は、酒類の広告において、「未成年者に向けられ、かつ未成年者に酒類の飲用を促すことを意図した題材、文言またはスローガン」を用いることを違法とする一方、法定飲酒年齢に達した者を対象とする広告は明示的に許容している19。この禁止規定は、意図の有無を基準とする。業界の線引きは、いずれの政府よりも厳格である。たとえば、Wine Institute(ワイン・インスティテュート)の広告基準規範(Code of Advertising Standards)は、「漫画のキャラクター」に加え、「主として子どもに人気のある描写、図像、人物像または物」を禁じ、想定する例として、サンタクロースとイースターバニーを挙げている。同規範は、広告にとどまらず製品ラベルとパッケージにも及び、Wine Instituteの会員に遵守を義務づけている。もっとも、すべての輸入業者が会員であるわけではないため、同規範は、普遍的な規則ではなく業界規範として機能している20。ここで問われるのは、ラベルに図柄があるか否かではなく、その図柄が子どもを惹きつけるものであるか否かである。

幸い、農家の老夫婦二人を親しみを込めて描いた戯画は、これらの基準のいずれにも無理なく適合する。漫画の動物や快活な子どもの図柄であれば、そうはいかないかもしれない。しかしながら、その戯画がCOLAを取得でき、米国の購買者に違和感なく受け入れられるかどうかは、酒蔵よりもコメ・コレクティブのほうが、的確に見極められるリスクであった。加えて、輸入前に必要な承認を取得する過程で、ラベルに対する当局側の懸念について、米国の規制当局と協議するうえでも、コメ・コレクティブ社内で規制遵守(コンプライアンス)を担う専門家のほうが、米国外の酒蔵よりも適任であったことは疑いない。

7.「転換の発案と実行」

このラベルは、蔵元やまだ自身が、自らの国内市場向けにデザインしたものであり、国内では「むかしのまんま」の名で販売されている。コメ・コレクティブは、それを実質的にそのまま米国に持ち込んだ。輸入業者が付加したのは図柄ではなく、このラベルがメッセージの面で米国市場に通用し、かつ米国の規制上の審査も通過するという判断であった。これは、種類こそ異なるものの、決して劣ることのないローカライゼーションの価値である21。新たな市場に向けて、製品のアイデンティティを更新すべき時を見極めることは、製品の現在の姿が、そのまま新たな場で効果を発揮する時を見極めることと同じく重要であり、コメ・コレクティブのような優れた輸入業者の存在意義は、その大部分が、こうした判断を下せる立場にあることに由来する。コメ・コレクティブはこの判断を貫いており、蔵元やまだの生産量を、定期的に全量買い取っている22。

比較の対象として、筆者が前述の「日本酒の米国市場エコロジー」で取り上げた、塩川酒造のCowboy Yamahai(カウボーイ山廃)がある。このボトルも、書の代わりに、米国人が一目で理解できる図像を用いているが、その発想は新潟から生まれた。塩川氏は、True Sakeのボー・ティムケン氏の塩川酒造で造られる山廃酒がステーキによく合うというイメージと、日本酒がステーキハウスという新たな市場を目指す開拓者的なカウボーイ像に、個人的な共感を抱いていた。この二つの着想から酒に名を与えたのが、True Sakeのボー・ティムケン氏である23。ここでの転換は醸造家自身のものであり、その実現を一人の米国人が助けたのである。塩川酒造の「のぱ(NoPa)」は、その中間に位置する。着想は塩川氏自身のものであり、サンフランシスコのレストラン「NoPa(ノパ)」での食事から生まれたが、日本版のラベルは、コメ・コレクティブが米国市場向けに作り直した24。この三つの事例には共通点がある。いずれも発案は日本から生まれており、海を渡る段階で変わったのは、実行のうちどれだけが米国で行われたかという点である。ローカライゼーションのあり方には幅がある。発案と実行は、それぞれ海のどちら側で行うこともでき、その組合せも自在であって、店頭のボトルを見ても、そのいずれであるかは分からない。

優れたローカライゼーションは、しばしばまさにこうした協働の形をとる。サミュエルズ氏によれば、同氏は、コメ・コレクティブのポートフォリオに、極めて慎重に一つずつブランドを加えており、米国で何かを発売する前に、生産者と何年も協働することも多いという。その時間こそが、決定的に重要である。ふさわしい製品を見極め、それを米国に届けるための作業には時間がかかり、その作業の拠り所となる、生産者と輸入業者の信頼関係を築くには、さらに時間がかかる。マーケティング部門を持たず、米国の消費者が何に魅力を感じるかについて、特段の感覚を持たない小規模な酒蔵にとっては、国内向けパッケージを忠実に移し替えるよりも、その感覚を備えた輸入業者に委ねるほうが、はるかに有益である。もっとも、忠実な移し替えが正しい選択となる場合もある。残念ながら、この仕組みを機能させているものは、同時に、立ち止まって考えるべき点でもある。生産者は、自社のボトルが太平洋を渡る際の外観を他者に委ねることで、多くの経済的な交渉力と、内容に対する決定権を手放すことが少なくない。ここから浮かび上がるのが、他者が築いたブランドの米国におけるアイデンティティは誰に帰属するのか、という問いである。この問いは、それが重要となる時点において、十分に問われていないのかもしれない。

8.「日本酒の米国イメージの帰属」

米国法の複雑さゆえに、この問いには二つの答えがある。第一の答えは、当事者が合意した者に帰属する、というものである。裁判所は、外国の製造者とその米国における独占的卸売業者との間では、別段の合意がない限り、製造者が商標を所有すると法は推定する、と判示している25。実務上、何の契約も締結しない生産者は、名目上は商標とトレードドレスを所有する立場から出発し、契約中のただ一つの条項によって、1本のボトルも売れないうちに、その双方の所有権が輸入業者に移ることもあり得る。これは必ずしも悪いことではないが、認識しておくべき重要な点であり、生産者にとって、輸入業者を真に信頼できるかを確かめる十分な理由となる。こうした契約条項が実際にどのように起草されるのかを、正確に押さえておく意味がある。優れた弁護士の仕事は、文書中のすべての条項を意図的な選択とすることにあるため、定型条項(ボイラープレート)に見えるものが、双方にとって同時に定型条項であることはまれである。米国の商標を輸入業者に譲渡する条項は偶然の産物ではなく、それが定型条項のように感じられるのは、相手方がそれを一つの決定として読まなかったか、決定すべき事項があることを知らなかったからにすぎない。これは双方向に当てはまる。自国で優れた弁護士の助言を得ている生産者も、輸入業者が立ち止まることなく署名する条項を、同じように意図的な選択とすることができる。輸入業者による意図的な商標譲渡条項も、生産者が意図的に設けた条項も、それ自体は対立的なものではなく、一方の当事者がある問いについて考え抜き、他方がそうしていない場合に、単に生じる事態である。

第二の答えは実務的なものであり、第一の答えほど心地よいものではない。本稿でこれまで漠然と「イメージ」と呼んできたものは、一つの資産ではなく、少なくとも三つの資産から成り、それらは常に一体として帰属・移転するわけではない。そのうち二つは商標法上の権利であり、通常はボトル上の名称である商標と、パッケージの全体的な外観・印象を指し、ボトルの形状にまで及び得るトレードドレスがそれにあたる26。両者を一体として分析すれば、それは通常ブランドと呼ばれるものであり、個別に分析すれば、それぞれが独立した資産であって、それぞれが独自に帰属の判断を受ける。第三の資産であるラベルの図柄そのものは、主として著作権法の規律を受ける。最後に、米国のCOLA制度は、全体を覆う規制の層として機能し、商標の所有者が誰であれ、COLA保有者に、製品の販路に対する事実上の支配を与え得る。

商標の帰属の判断は、推定から始まる。前述のとおり、裁判所は、別段の合意がない限り、製造者が商標を所有すると推定する。もっとも、この推定は反証可能であり、裁判所が考慮する要素は、優れた輸入業者の日々の業務を、そのまま描写したかのようである。考慮されるのは、(1)いずれの当事者が商標を考案し、最初に製品に付したか、(2)商標とともに誰の名称が表示されていたか、(3)いずれの当事者が品質の一貫性を維持したか、(4)公衆がいずれの当事者を製品と結びつけ、問題が生じた際に苦情を申し立てるか、(5)いずれの当事者が営業上の信用(グッドウィル)を保有するか、である27。したがって、米国法の下では、米国でのアイデンティティを築いた輸入業者は、輸入契約にこの問題を決着させる条項がなくとも、これらの要素の大半について、実質的な主張を展開し得る。

9.「ラベルの図柄の帰属」

第三の資産は、そもそも商標の問題ではない。ラベルの図柄は、著作権で保護される著作物である場合があり、著作権法は、異なる問いに答える別の法律であって、著作物の帰属について独自の規則を持ち、その帰属の移転についても独自の規則を持つ。輸入業者の被用者が、職務の一環として当該図柄を描き、あるいはボトル上のその他の独創的なデザイン要素を創作した場合には、輸入業者がその著作権を有する。輸入業者または生産者が、外部のイラストレーターに制作を委託し、書面による譲渡を一切受けていない場合には、その著作権はイラストレーターに帰属し、酒蔵にも輸入業者にも帰属しない28。職務著作(work made for hire)条項も、通常は発注者(生産者や輸入業者)を救うものではない。委託による著作物の場合、職務著作としての帰属は、法定の9類型の範囲内でのみ認められ、ラベルの図柄はそのいずれにも該当しないからである29。契約書が、極めて明確な文言で当該図柄を職務著作と定めていても、著作権は、元の帰属先にそのままとどまり得る。

実務に精通した輸入業者であれば、書面による譲渡を受けることを心得ているが、自らデザインを調達する小規模な生産者は、それを求めるべきことを知らない可能性が十分にあり、あるいは機能しない職務著作条項に頼ってしまうこともある。これは、最も厄介な局面の一つを生み得る。誰もが争う資産が、何年前とも知れない昔に、数百ドルの報酬で依頼を受けたフリーランスのイラストレーターに帰属する、という事態になるからである。もっとも、通常は、生産者や輸入業者が当該図柄を使用できなくなるわけではない。裁判所は、委託による著作物について、委託の目的に沿って利用する、黙示のライセンスを認めることが多いからである30。

失われ得るのは、それ以外のすべてである。イラストレーターが同じ図柄を他者にライセンスするのを阻止できることや、場合によっては、ブランドの売却に際して図柄も併せて移転できることも、これに含まれる31。以上が著作権法上の答えであり、それは著作権の問いにのみ答えるものである。同じ図柄は、米国の飲み手に対してその日本酒を識別させるという、商標としての働きも担い得る。その場合、当該商標の所有者は、著作権の帰属先がどこであれ、同一または関連する商品に当該図柄を使用して、出所の混同のおそれを生じさせる他者に対し、訴権を有する。著作権と商標は並行して存在し、異なる事実に基づいて判断される。米国特許商標庁(USPTO)が図柄を誰が描いたかを問うことはなく、著作権もまた、誰がブランドを築いたかによって左右されない32。

10.「全体を覆うCOLA」

これらすべての上に、誰が何を所有するかとは無関係な、一つの規制上の事実がある。輸入ワイン(日本酒を含む)33は、TTBが発行するCOLAなしに、販売のために税関の管理下から引き取ることができない。加えて、他者のCOLAに基づいて製品を流通させる場合には、その保有者の名称と住所を容器に表示し、輸入業者はその許諾を立証できなければならない34。実務上、これは、輸入業者が米国市場への扉の鍵を握っていることを意味する。それは所有ではなく支配にとどまるかもしれないが、紛争においては、支配はしばしば所有とよく似た働きをする。

11.「弁護士と契約の重要性」

最悪の場合、生産者は、商標では名目上優位に立ちながら、ラベルでは締め出され、図柄については何も手元に残らないという事態に同時に陥り、しかもそれに気づくのは、関係が終わった時である。加えて、著作権と商標の帰属を明確に定めた合意がなければ、紛争が生じた際には、費用がかさみ予測の難しい訴訟が必要となる可能性が高い。どれほど優れた弁護士であっても、複数の要素を総合考慮する商標の分析が、特定の事実関係にどう当てはまるかを予測するのは、極めて難しい。各要素をどう比較衡量するかについて、裁判所に広い裁量があるからである。第9巡回区連邦控訴裁判所自身も、自らによるこれらの要素の当てはめについて、同様の趣旨を述べている35。

費用がかさみ複雑な訴訟の危険があるからこそ、著作権と商標の帰属を定め、両当事者が理解した、明確で適切に起草された契約が、極めて重要となる。しかしながら、こうした契約は容易には得られない。これらの条項が書かれる時点は、それを書くのに最も適さない時点だからである。優れた輸入業者に見出された小規模な酒蔵は感謝しており、関係は新しく協調的であって、関係が悪化した場合にどうなるかについて、交渉を始めたいと思う者はいない。もっとも、交渉力が存在するのはまさにその時点であり、関係の協調的な段階で署名された文言こそが、事態が対立的になった場合に適用される文言でもある。以上は、輸入業者が所有するものを減らすべきだという主張ではない。コメ・コレクティブのような輸入業者は、日本の生産者のために、生産者自身では築けなかったものを築いており、そのことに対して、正当な対価と保護を受けるべきである。これらの重要な条項とその意味するところを、自らの生産者に明らかにする輸入業者は、信頼と安定した事業上のパートナーシップを育む可能性が高い。本稿の主張は、これらの問いを、紛争が生じてから裁判所の判断に委ねるのではなく、意図的に問うべきだという点にある。加えて、これらの問いは、契約書に何が書かれているかと、この業界の内部で何が起きているかの双方を知る者が立てる必要がある。

12.「おわりに」――日本酒の米国イメージの意味

本稿の初めに、筆者は、サミュエルズ氏が示した二つの光景を紹介した。すでにシャルドネを半分空けている母親と、路上で見知らぬ人に話しかける祖父である。いずれも共感を呼ぶ光景であるが、どちらの記憶も、それが結びついた製品とともに太平洋を渡ることはない。サミュエルズ氏と対話の席に着いたとき、筆者は、市場の評価が定まっていないカテゴリーにこそ強みがあるとは、予想していなかった。誰も評価を下していないカテゴリーに携わる人々こそ、そのカテゴリーが何になるかを決めることができるのである。それは筆者が予想していなかった自由であり、筆者自身が経験してきた自由でもある。白ワインをはじめ、多くの「西洋の飲み物」に対して筆者が抱く連想とは異なり、日本酒の一口一口は、海の向こうにある、筆者の家族と出自の、美しくも異なる一面とつながる機会である。それは、筆者が育った西洋社会ゆえに押しつけられたつながりではなく、筆者が自ら自由に結ぶことのできたつながりである。筆者はそこに解放感を覚えた。米国の多くの人々も、同じように感じるだろうと筆者は考える。

筆者個人の感慨はさておき、この強みの法的・経済的な実態は、人々が現に所有する資産の上に築かれているという点にある。表記の選択、戯画、米国の飲み手がラベルに寄せる信頼、そしてその背後に蓄積される営業上の信用は、単なる雰囲気ではない。それらは資産であり、誰かに帰属する。明確な合意がなければ、それが誰であるかは、作業が進む間に誰も注意を払っていなかった事実によって決まり、しかもその誰かは、しばしば酒蔵ではない。それは不祥事でも、誰かの不正でもなく、誰もその問題を持ち出したがらないまさにその瞬間に、しばしば二者のうち一方のみによって下される決定にすぎない。この市場の輸入業者と生産者に筆者が望むのは、これらの問いを明示的に提起し、意図的に答えを出すこと、ただそれだけである。

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