July 2026

アメリカの地酒――Den Sakeと、新しいものを生み出す法

Rik Douglas Jeffery(共同創業者・代表(米国弁護士(カリフォルニア州)))
翻訳提供: Joel Hughes

1.「はじめに」――西オークランドの酒蔵

2026年4月27日、筆者は、Den Sake Brewery(デン・サケ・ブルワリー)を訪ね、蔵の中を見学した。かつての酸素製造工場を職人たちの共同アトリエに転用した西オークランドの建物[1]、その一角をいくつかの部屋に区切って営まれるこの蔵こそ、筆者がのちに「アメリカの地酒」の蔵と考えるようになるものとの、最初の出会いの場であった。何が待っているのか、確かな見当があったわけではなかった。鋼材加工ヤードの前を縫うように抜けた先で迎えてくれたのは、淡い茶色のカーハートのオーバーオールをまとった中年の日本人男性――Den Sake Breweryのオーナー兼醸造責任者、迫義弘(さこ・よしひろ)氏である。数分言葉を交わしただけで、相手がどのような人物で、ここがどのような蔵なのかは、おおよそ見当がついた。実直で、手仕事に情熱を注ぎ、美しいものを生み出そうとする人々のための場所である。しゃれたテイスティングルームも、趣向を凝らしたペアリングもない。あるのは、床に直接据えた一口のバーナーに、頭の高さほどまで蒸し器のトレイを積み上げただけの米蒸し場。ウォークインクローゼットほどの広さに、精緻に組まれた木製の棚を巡らせた、板張りの麹室。冷蔵された奥の部屋には、鋼鉄の発酵タンクが並び、その脇には、部屋をほぼ横断する丸太の巨大なレバーで操作する槽(ふね)が据えられていた。転用を重ねたこの空間の一寸一寸が、手元にあるアメリカの素材と日本の伝統的な酒造りとを融合させ、見事な酒を醸すために、丹念に設えられていた。

ひととおり蔵を見たあと、迫氏は、折りたたみ椅子と酒2本、そして小さなカップを持ち出し、筆者と差し向かいで、利き酒をしながらの対話が始まった。供されたのは、生酒と火入れの2種類。日本で飲んできた多くの酒より、味は太く、果実味と酸が立っている。実にうまい。筆者は、この酒をブルーチーズバーガーのようなものと合わせたいと思うのは奇妙だろうか、と迫氏に尋ねた。この酒の――とりわけ生酒の――果実味を帯びた酸が、ああいうバーガーの刺激、旨味、燻香、脂を見事に引き立てる対比になると思えたのである。迫氏は、渡米当初、ベイエリアのレストランでソムリエとして長年働いたと語った。その後、自分の手で、自分のものを生み出したいという思いから、醸造の道へ転じたという。合わせることを想定している米国の食は、日本の多くの料理に比べて味が濃く、繊細さに欠ける傾向がある。だからこそ、酒の酸を意識的に高めに設計しているのだ、と迫氏は説明した。

2.「カリフォルニアの地酒」

利き酒を重ね、迫氏の造りを聞くうちに、筆者は、いま口にしているものこそ、まぎれもないカリフォルニアの地酒だと気づいた。「地酒」という言葉には、1980年代に、地方の小さな蔵を大手と区別するためのマーケティング上の側面もあった。もっとも筆者の経験では、この言葉が本当に指しているのは、真の意味で「その土地の酒」である。考えてみれば当然のことで、小さな蔵は、その定義からして、毎回同一の均質な製品を保証する大規模な工業的工程を持たない以上、自らの醸造環境で得られる資源を活かし、その資源の移ろいと向き合い、さらに、工業的な量を造れないがゆえに、手の届く市場に合わせて味と製品を仕立てるほかないのである。

Den Sakeのような蔵を見て、酒造りの工程そのものが本質的に日本のものであり、日本の外に真に「その土地の酒」などあり得ないのではないか――という反論もあろう。しかしながら筆者には、この反論こそが、地酒の持つ本当の豊かさと文化的な意味を見落としているように思われる。酒の、とりわけ地酒の核心にあるのは、技法そのものではなく、目の前の環境と資源に合わせて造りを変えていこうとする、造り手の意志である――そしてこの意志は、おそらくあらゆる醸造の伝統の核心でもある。日本国内でも、土地ごとに水も気候も米も大きく異なる以上、工業的な工程によらない限り、千年を超える酒造りの歴史のなかで、土地が変われば、酒を同じように造ることは、そもそも不可能だった。適応への衝動は、世界中の造り手が共有するものかもしれない。もっとも、迫氏が携えてきた適応の伝統そのもの――麹、槽、そして自らの谷の水に身を合わせてきた、幾世紀もの日本の造り手たち――は、まぎれもなく日本のものである。それこそが、彼がオークランドに植えた継承である。

3.「適応の系譜」

この継承には、直接の系譜がある。そもそも筆者を迫氏に引き合わせてくれたのは、新潟の塩川酒造・塩川和広社長である。2025年10月の1か月間の日本滞在の折に、筆者は同蔵を見学していた。今回の取材で分かったのは、塩川氏がDenの物語に果たした役割が、単なる紹介にとどまらないということである。迫氏は、その技の多くを塩川氏に学び、塩川氏がサンフランシスコを訪れた際には、蔵の立ち上げにも力を借りたという。迫氏によれば、塩川氏はこれまで7カ国で酒を醸してきたそうだ。適応への意志がどこまでも旅し得るという、まさに生きた証である。迫氏の使う米は、サクラメント産のシングルオリジン。水田に苗を植えるのではなく、飛行機で圃場一面に種を播く。仕込み水はオークランドの水道水であり、水道水の硬度は変動するため、蒸し鍋の底に付く硬水由来の水垢の量を見て、仕込みの時間軸を調整することを覚えたという。ミネラルが多いほど、発酵は速い。設備でさえ、日本からの輸入は高くつきすぎるため、自らの工房に合わせた特注である。伝統的な造りを環境の現実に適応させるという流儀の根は、日本にあるのかもしれない。しかしながら、これだけの適応と、実際に使われている素材を思えば、Den Sakeがカリフォルニアの酒であること――カリフォルニアの地酒であること――に、筆者の中で疑いの余地はない。同じ理屈でいえば、他地域からトラックで運び込んだ米で醸される日本の名酒は、80マイル(約130キロメートル)先で育った米と水道の水で造られる酒より、「その土地の酒」の名にふさわしくないとさえいえよう。

4.「三層の規制環境」

Denを真正なカリフォルニアの地酒たらしめているものの多く――地元での調達、自作の設備、水道水への適応――を、迫氏は、大半の人なら諦めていたであろう制約の下で、なかば必要に迫られて実践している。そして制約は、米と水と設備では終わらない。米国で酒蔵を営むことには、規制遵守(コンプライアンス)と事業運営上の義務という重層が、常に覆いかぶさっているからである。米国において、酒蔵は、三層すべての政府に対してコンプライアンス上の義務を負う。Denのような酒蔵が生産を始めるには、まず、市または郡の当局から、事業計画に対する承認を得なければならない。次いで、連邦政府の米国アルコール・タバコ課税貿易局(TTB)の許可を取得する。その許可が下りて初めて、カリフォルニア州アルコール飲料管理局(ABC)への申請を提出することになる。これらの申請はいずれも、身元調査、指紋採取、財務情報の開示をしばしば伴う、複雑で立ち入った、時間のかかる手続である。しかも、操業開始に必要な許認可の取得は、酒蔵のコンプライアンス負担の入口にすぎない。新しい製品を出すたびに、連邦政府の製法(フォーミュラ)承認とラベル承認が必要となり[2]、連邦税の負担ものしかかる。

5.「連邦と州の分類のねじれ」

酒の場合、事情はとりわけ厄介である。連邦政府と州政府とで酒の分類が異なる――それも単に異なるのではなく、互いに反転しているからである。連邦レベルでは、TTBは、酒をラベル表示についてはワインとして、製造と課税についてはビールとして扱う。したがって、迫氏のような国内の酒造家は、ビール醸造所(ブルワリー)としての資格を取得しなければならない[3]。一方、カリフォルニア州は、この製造面の扱いを完全に裏返す。カリフォルニア州事業職業法(B&P)の下では、酒は法律上ワインであって、ビールではない[4]。その結果、まったく同じ1本の瓶が、連邦法上はビール醸造所の製品であり、カリフォルニア州法上はワイン生産者(winegrower)の製品となる。筆者自身の実務でも、規制当局自身が、どちらの基準を適用すべきか判断に迷う場面を見てきた。このような規制環境の下で許認可を取得し、継続的なコンプライアンスを管理することは、法律の専門家にとってさえ骨の折れる仕事であり、法的な訓練を受けていない者には、まったく手に負えないものになり得る。

こうした幾層もの規制が事業者に課すコストは、決して観念的なものではない。迫氏は、ラベルの承認取得にあまりに時間がかかったため、新たな承認が必要になるような変更は一切加えないことにしている、と打ち明けた。さらに、許認可は通常、特定の場所に対して付与されるため、事業が成長してより広い場所が必要になれば、三層すべての政府への再申請を覚悟しなければならない。実際、Den Sakeもかつて、サンフランシスコのより大きな施設への移転を検討したものの、実現には至らなかった。

6.「資本と創造性」

結局のところ、この規制環境は、酒蔵にただでさえ重くのしかかる資本要件を、いっそう深刻なものにする働きをしがちである。上述の再申請の負担そのものが、成長をこれほど資本集約的にしている一因なのである。これは、Den Sakeのような職人的な蔵を、難しい立場に置く。自社流通の枠を超えて成長し、州境を越えて製品を販売しようとすれば、外部資本がほぼ不可欠になる。一方、Denのような職人的な造り手が酒を醸すのは、酒を愛し、創造することを愛するがゆえである。その喜びと創造性は壊れやすく、成長とリターンの拡大を迫る投資家の圧力によって、容易に損なわれ得る。

筆者の経験では、この問題に対処する鍵は、リターンへの期待が合理的で、事業に対する経営者の目標を明確に理解している外部資本を見極めることにある。そのうえで、その期待と理解を、投資を保護しつつ経営者の創造の自由を守る形で、投資関連文書に組み込まなければならない。実務的には、外部資本を受け入れてもなお、創造面・運営面の支配権を創業者の手元に残すガバナンス条項が、その典型である。加えて、機関投資家型のグロース資本ではなく、小規模で方向性のそろった投資家層、あるいは辛抱強い単独の投資家を選ぶことも多い。このアプローチは、規制の観点からも理想的である。酒類の許認可の取得手続の一環として、一定の閾値(しきいち)を超える持分の保有は開示の対象となり、その保有者は調査を受けなければならない――そして、この手続を通れない、あるいは通ろうとしない投資家は少なくない。言い換えれば、免許制度そのものが、投資家層を小さく、結束したものに保つ創業者に報いるのである。

7.「おわりに」――醸造家と弁護士

迫氏のような人物が米国へ渡り、自らの技が持つ適応の伝統を活かして、真に「この土地の酒」と呼べる一杯を生み出せること――そこには確かな意味がある。もっとも、地酒を、輸入される酒とは別個の独自の存在として認識するだけの市場の生態系――とりわけ教育――が米国にすでに備わっているかといえば、筆者には確信が持てない。その状況を変える一助となりたい、と筆者は考えている。酒市場の現状と、米国の規制制度がその上に張り巡らせる障害を思うとき、筆者に強く感じられるのは、Den Sakeのような事業には、法務サービスへの統合的なアプローチが必要だということである。迫氏のような造り手を十全に支えるには、この業界の法的枠組みへの深い造詣と、人間である規制当局者がもたらす実務上の現実とを併せ持ち、それを、文化的な伝統と、きわめて人間的な志によって定義される事業のために用いなければならない。法律そのものは、調べれば分かる。カリフォルニア州が酒をどう分類するかは、誰でも――何であっても――検索できる。しかし、あの部屋に座ることの意味は、検索できない。造り手の制約のうち、どれが自ら選び取ったもので、どれが強いられたものかを知り、本人がまだ名づけていないジレンマの兆しを見て取ること――それは、調べても出てこないのである。

キャリアのごく初期、筆者は、弁護士としての人生を、法服をまとって法壇から判断を下すか、スーツに蝶ネクタイで、巨大な木製デスクの向こうから助言を授けるものだと思い描いていた。かつての酸素製造工場を職人たちの共同アトリエに転用した西オークランドの建物、その酒蔵の真ん中に置かれた折りたたみ椅子から、一人の熟練の職人の話に耳を傾けていると、醸造家の技と弁護士の実務は、世間が思うよりずっと似ているのではないか、と思わずにいられない。どちらも、現場に身を置き、泥にまみれながら、環境・経済・人間の制約を学び、それに適応して、長く残るものを作る仕事である。初めてのカリフォルニアの地酒を小さなカップで味わいながら、筆者は思った。迫氏は、この先何年も続いていくにちがいない伝統と芸術の礎を、ここカリフォルニアに築く一翼を担ったのだと。

初回30分の無料相談を承ります

お問い合わせ
This is some text inside of a div block.